阿久井の厄年とも言える2019年
阿久井です。ライブ感想ブログが中々進みません。
今回は阿久井が18年生きてきて最も不幸が降りかかった2019年、その年に私の身に何が起こったのかを2つ紹介したいと思います。阿久井が高校2年生の時ですね。
ではよろしく。
その1 左肺自然気胸による一ヶ月の入院
まず気胸を知らない人のためにどういう病気か、超簡単に説明すると、「肺がパンクする」って感じの病気です。OKGoogle,気胸について詳しく教えて?はい、分かりました。
気胸には「外傷性気胸」と「自然気胸」があるみたいですが、阿久井は自然気胸でした。気胸になった原因が分かりません。なぜなんだ・・・
ここから話が長くなります。では、私が気胸になるまでと、なってからをお話します。
それは私が7時間目の授業を受けている時でした。前半は普通に授業を受けていました。授業が後半に差し掛かろうとした時です。突然、胸に激痛が走りました。絞られるような痛みが阿久井を襲います。突然すぎて驚き半分、恐怖半分。最初は一時的なものだろうと思って我慢してみたんですが、3分でギブアップでした。そして・・・
阿久井「先生・・・胸が苦しいです・・・」
先生「は?」
まあそうなりますよね。私が先生の立場だったら同じように返しますからね。
阿久井「げ、げげ激痛がするのでほ保健室行っていいでふか・・・」
先生「あぁ、はい。保健係の人誰か連れて行ってあげて~」
クラス(ざわ・・・ざわ・・・)
この時の様子を、当時のクラス委員長はこう語っています。
イインチョ「マジでふざけて言ってるのかと思った。まさか入院になるとはw」
まあ誰も信じられなかったということでしょうねwしょうがない。
さあ阿久井選手、教室を出たがあーっと足がふらついています!なんだか歩くスピードが遅いです!
この時、呼吸するのも痛すぎて辛かったです。歩くのも一苦労でした。何かに捕まりながら歩かないと、キツイ。死を覚悟していました。
やっとの思いで保健室に辿りつき、保健室の先生に親に連絡を取ってもらって、ベッドに横になりました。最初は困惑していた付き添いの子も、相当苦しそうにしてたのが分かったのかめちゃくちゃ心配して声かけしてくれました。優しいね。
親が迎えにくるまで40分くらいかかったので、保健室の先生には症状を伝えて迎えがくるまで横になっていました。気がつけば授業終わりのチャイムが。するとクラスメートや他クラスの友達が心配からか駆けつけてくれました。優しいね😢
その後親が到着し、速度違反スレスレのスピードで救急外来へすっ飛ばし、診察へ。
レントゲンとCTを受けた後、医者から「肺パンクしてますね、ここ見てください、イッちゃってますねぇ」と言われ、絶望。さらに「今夜ドレーン通します、入院です」と言われ崩れ落ちる。
この肺にドレーンを刺す手術(?)が地獄でした。
消毒液を塗られ、(この時点で既に恐怖で心拍数急上昇)痛み止めを打たれ、小さく切られ、管が身体に入っていく気持ち悪さを感じ・・・
阿久井「なんかあばら骨のあたりゴリゴリします・・・」
外科医「ん~もうちょっと頑張れ~」
そして・・・
プスッ
阿久井「ッッッッッッッッッッッァ・・・・!!!!!!」
外科医「深呼吸して~!」
阿久井「アーイ・・・?」
こうして肺にドレーンが刺されましたとさ。
術後、痛みで動けなかった私は車椅子で病室へ。
病室で看護師さんと話している途中、手術が終わった安心感からか、盛大に口からシャイニーカラーズをかます。ちゃんとゴミ箱でやりました。いや、普通に恥ずかしかった。
その後なんやかんやで入院生活。親は毎日お見舞いに来てくれ、友達や担任の先生もお見舞いに来てくれました。
「その後の経過次第では、ドレーンだけで完治したら退院」っていう話だったんですが、どうも調子悪く、残念ながら雑魚の肺の一部を摘出する手術になってしまいました。あー最悪だよほんとに。
ガチガチに緊張しながら迎えた手術当日、若干吐きそうになりながらオペ室へと向かいました。いや物心着いてから麻酔とか初めてだし怖すぎ・・・というガクブルの状態。
そしてオペ室の中に案内され、ベッドに横になりました。
医師A「おはようございます、よろしくお願いしますね~」
阿久井「しましゅ・・・マジで怖いっしゅ」
医師ABCDEFG「(笑い)」
医師B「大丈夫だよ、おっちゃんたちに任せて!」
医師C「高校どこ?」
医師D「彼女できた?」
医師E「点滴の針刺しますね」
医師F「今からボーッとする空気流しますね~」
医師G「緊張するよね~わかるよ~」
助けて「阿久井」
そして10分後・・・
医師A「それじゃ、今から麻酔流していきますね、終わったら起こしますね~ちょっと手が熱くなって痺れるかもね~(注入)」
阿久井「はい~・・・あっほんとですね~・・・手ちょっとあふいksんふぃあああ」
手術、体感5秒。
このあと集中治療室に移されました。麻酔切れたあとはめちゃくちゃ痛かったです。痛み止めの点滴のスイッチ連打してました。ただ、薬が強いがために副作用もあり、猛烈な吐き気。5分に1回は口からシャイニーカラーズしてました・・・ほんんんとしんどかったです・・・スマホもまともに操作できず、視界もぼやけて文字が見えませんでした・・・夜も眠れず、何度もナースコールで痛み止めくださいって言ってました・・・
そんな地獄なような日から2週間後、気胸発症から約1ヶ月、遂に退院しました。ただ、最後の通院で先生からまたしても地獄のような言葉が・・・
「今回は治りましたが、再発の恐れもあるため注意してください。右の肺も爆弾かかえてると思ってください。」
右 の 肺 も 爆 弾 を か か え て い る
・・・勘弁してください。
こうして阿久井の入院生活が終わりました。
手術の後遺症で3か月くらい体育に参加できなかったことも悔しいですね・・・
ところで、実は阿久井の母が何度か気胸を経験しており、遺伝なのかなぁ、っていう話も出ていました。
ということで、阿久井の気胸のお話でした。
これがドレーンです。
その2 交通事故
安心してください。被害者です。(そういう問題じゃない)
阿久井の説明しちゃうぞのコーナー始めますねー!
8月下旬の朝5:30頃、私は東京の大学のオープンキャンパスに行くため、最寄り駅まで自転車を転がしていました。赤信号で止まり、待つこと約2分。信号が青に変わりました。左右確認よし。イキます!(七尾百合子)
走り始めたその時。
ドゴン!!!!ガガガガガガ・・・・・キキーッ・・・
・・・え?
何が起こった?
え、私倒れてる・・・自転車は?
いやどこいってんねん。
てか全身痛い!!!
起き上がれた・・・けど腕曲がんない・・・
これ折れたか・・・?
とりあえず親に電話しないと・・・
あ・・・加害者の免許証と連絡先見せてもらって・・・車種は・・・ナンバーは・・・
目撃者いたかな・・・朝早いしさすがに・・・あ、あの人かな・・・?
って感じで動揺と焦りとびっくりしすぎっていう気持ちが痛みよりも勝っていました。
Y字路だったんですが、どうやら加害者側の前方不注意だったようで・・・斜めから突っ込まれました。当たった感じ、そんなにスピードは出てなかったと思います。ヘルメットしてなかったのであと少しスピード出てたら多分逝ってたと思います。おーこわ。
目撃者の方がすぐ警察と救急呼んでくれました。
3分後、両親到着。母、悲鳴と同時に顔面蒼白。父、冷静を装うも言葉を失う。
5分後、警察が先に到着し、その1分後に救急車も到着。
自力で救急車の車内に移動し、まず救急隊の方に今の痛みを説明。その後警察に覚えてるかぎり、記憶しているかぎりの事故の状況を説明。
その後、救急搬送され、検査祭り。全身打撲、後頭部打撲、左腕靭帯損傷及び骨折。幸い手術までするほど酷く損傷はしませんでした。しかし、またしばらく病院通いが続きます。あーあ。参ったなぁ・・・。
当時の写真貼ります。血が映っていますので閲覧注意です。
現在廃車となった自転車
激しい損傷によりブレーキが大破
事故による流血
この2つの不幸によって、体育の評定は2になってしまいました。ついでに授業も追いつきませんでした。ばーかばーかあほまぬけー!
ということで、阿久井に起きた2つの悲劇のご紹介でした。いかがでしたでしょうか?
ちなみになんですけど、最近また胸のあたりが定期的に痛いんですよね。やばくないですか?これ、きちゃいますかね、また。
毎日ビクビクしながら過ごすことにします。痛いの酷くなったら病院いきますかね・・・。
皆さんが阿久井みたいにならないことを心から願っています。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
これ書いてる暇あったら感想ブログちょっとでも進んだやろ
(そういえば大学のレポート課題も終わってないのやばい)